プロフィール

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XVI(えくしびぃ)プロフィール

幼少期

1973年1月生まれ。京都中心街の実家にて、3人兄弟の次男として生まれる。

幼稚園では発達障害による自身の特異な言動に気づかず、多くの女子から邪険に扱われ、つらい幼稚園生活を2年間過ごす
小学校でもまた、多くの女子児童から邪険に扱われ、6年間生き辛い小学校生活を過ごす
このため、「僕は女子に嫌われるんだ」という激しいトラウマを抱くようになる

コンピューターとの出会いはそんな小学校のとき。任天堂のゲーム&ウォッチを親に買ってもらい、手にしたのが初めてだった。コンピューターゲーム(て言うのか?)というものに興味を覚え、任天堂の「ドンキーコング」をやりたいがために小6のときにファミコンを買い、本格的にゲームにハマっていく。

中学校時代

中学時代は、自身の発達障害による特異な言動のために、かなりひどいいじめにあう
物・お金を取られる、無理やり買わされる、殴られる、あちこちを連れ回される、パシリさせられるなど。。
これで、対人緊張を抱え、人と話すことができなくなる。先生が目の前にいるのに助けてくれないこともあり、「大人は自分を助けてくれない」、と思うようになり、何かあっても人に助けを求められなくなる

クラブは当初テニス部に入るが、トレーニングが激しくて耐えられずに1学期ですぐにやめてしまう

このとき(中1)に任天堂のファミリーベーシックと出会う。パソコンとの初めての出会いだった。家にいる時は常にゲームかプログラミングを夜遅くまでやる生活、次第にプログラミングの魅力に引かれていき、中3でプログラマーの仕事を志す

高校時代

高校はいじめっ子と別の学校に入学。いじめのない、平凡な生活がやってくる
中学のころからやりたかった卓球部に入りせっせと練習するが、「運動神経が悪い(発達障害の特性)」こともあってかあまりうまくなれず、面白くなくてわずか1年でやめてしまう

このとき(高1)に、父親から入学祝いでNEC PC-98を買ってもらい、本格的にプログラミングの勉強に没頭する
高2の時に、パソコンが得意な同級生に出会う。プログラミングが得意な彼から、さまざまなテクニックや技術を教わり、プログラミングのスキルがかなりアップする。

ITの専門学校時代

高校卒業後、ITの専門学校のコンピューター学科に入学。プログラミング(QuickBasic、ANSI C、アセンブラ)をバリバリ勉強し、在学中にコンピューターの国家資格のひとつである「第二種情報処理技術者」に合格

夏休みにはバイトをして、貯めたお金で当時話題だった32ビットパソコン、SHARP X68000を購入。こんな高い買い物は生まれて初めてで、毎日フルタイムのバイトに没頭、40万円弱を稼いだ。人生で初めて根性を出したのではないかと思う

フリーソフトの製作にも挑戦。PC-98上で動くミュージックプレーヤーソフトをプログラミング、学校の学園祭にも出展し、同時にフリーソフトの雑誌にも掲載された

専門学校卒業後、1993年にIT関連企業にプログラマーとして就職。念願のコンピューターの仕事に就くことができ、まさに順風満帆だった。

プログラマー時代

現場では主にプログラミング(ソフト開発)をこなすこと4年。
しかし連日の残業、休日出勤、徹夜がありとても辛く、「辞めたい」と苦しみながらの社会人生活

また仕事以外に、対人関係にも苦しむ。会社宴会などの職場同僚との付き合いでは人と会話できず気まずい思いをする。

ある日、仕事の要領が悪くて一向に進んでいない状況(今思えば発達障害の症状)を、先輩からキツく怒られる。以来この先輩が怖くなり、ビクビクしながらの作業、胃カメラを飲むまでになる

その先輩に対するストレスと、連日残業半徹の体力的ストレス、以前から患っていた腰痛に耐えられず1997年退職、1年半の間、無職の生活になる。

学内SE時代

その後1999年、某女子中高に学内(社内)SEとして再就職。コンピューター教室PC管理および教職員向けヘルプデスクをこなすこと4年。
在職中に国家資格「初級システムアドミニストレータ」合格

この間、多くの女子生徒とふれあうことになるが、皆が僕を親しみを持って接してくれ、女性に対する対人緊張が大分和らぐ

肌に合う仕事であったが、正職員として採用されることなく、無念ながら4年でこの職場を後にすることになる。

IT関連企業時代

2003年に某IT関連企業に転職。顧客のシステム運用およびヘルプデスク業務に1年間従事。
しかし以前のIT企業と同じく、長時間残業とたまの徹夜、食事休憩抜きの激務が続く
職場の同僚が過労死。
連日の過重労働に耐えられず、退職する

アルバイト時代

またもや、1年間の無職生活。その間、アルバイトで情報教育アドバイザー、Web関連業務(アクセス解析、アフィリエイト)をこなす。

大学学内SE時代

2005年、前職の女子校から再度声をかけてもらい、グループ校の女子大に学内SEとして再び就職。「ライフワークと言うべきITの仕事を見つけた!」と大喜び。サーバー、PC、インターネット回線管理、および教職員向けヘルプデスクと充実した日々を過ごす。
ここにおいても、多くの女子学生と触れ合うことになり、女性に対する対人緊張はますます小さくなっていった。
しかし、年を追うごとに業務が過重労働になっていく。しかし前職のIT企業ほどではなかった。

うつ発症

にもかかわらず2007年、頭が締め付けられるような頭痛、人前で汗をかく、気分の落ち込みが2週間続く症状が発生。心療内科にて「抑うつ神経症」と診断される。
診断はされたものの、やっと見つけたライフワークたる職場、服薬を続けながら仕事を続行するが次第に症状は悪化していく(不眠、対人緊張、落ち込みなど)。悪化にともない、女子学生ともコミュニケーションが取れなくなっていった。
2009年に国家資格「情報セキュリティスペシャリスト」合格

歳を追うごとに学生数が減少、にともない激しいリストラを学校が断行、2人いた上司がパワハラによるリストラでいなくなり、上司の仕事が全てのしかかってくる。大学内のシステムの責任を、一人ですべて引き受けなければいけない状況になる。

体調悪化に拍車がかかり、欠勤が相次ぐ。2012年、仕事のプレッシャーに耐えられず、勤務継続は困難と判断、大学を退職する。

4年間に及ぶ失業生活

ライフワークたるべき仕事を失った喪失感の中、約4年に及ぶ失業生活に入る。バイトや派遣などを転々とするも、契約満了もしくは仕事の失敗(発達障害による)などにより長続きしない状況が続く

障害福祉での仕事

「発達障害」の診断

2016年、精神障害福祉(就労継続支援B型事業所)の職場にてパソコンを教える仕事に就職。
しかしこの職場にて、仕事を全く覚えられない、職員とのコミュニケーションがうまく取れないなどで毎日何度も叱責される苦痛の日々が続く
この異変に、同職場の施設長に勧めて頂いた心療内科にて、初めて広汎性発達障害(自閉症スペクトラム障害)の診断を受けるいままで生き辛かった理由が40代にしてやっと分かり、目から鱗であった。

同職場は複数の作業が同時並行で行われる。発達障害者にはこなすことができない。連日叱責される辛さもあり、わずか3か月でこの職場を退職することを決める。

そして現在

退職後、社会復帰を目指して、2017年2月からデイケアに通所、続いて同年6月から就労移行支援事業所に通い始める。
その最中、同ブログの執筆を始め、現在に至る。

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