発達障害の特性の話をすると、「誰でも同じだよ」と言われる。
例えば、
「複数同時作業が苦手」→「そんなん、誰でも苦手やで」と言われる。
違う〜〜〜
そうじゃない〜〜〜
苦手さの度合いが違う
「そんなの、誰でも同じだよ」と、よく返される。
でもそれは違う。
症状の度合いが、極端に大きいのだ。
たとえば「複数同時が苦手」という症状で例えよう。
台所で、やかんでお茶を沸かしながら、他の簡単な作業(三角コーナーのゴミを捨てる、古いお茶を捨てるなど)をしていると、十中八九でやかんを吹きこぼしてしまうのだ。
やかんの吹きこぼしですよ?
ちょくちょく見ておけば防げるじゃないですか?
しかも、何回やっても慣れることができない。
何度やっても、必ずと言っていいほど吹きこぼしてしまう。
「慣れる」ということがないのだ。
こんな簡単な同時並行が無理なら、仕事となるとさらに無理というわけだ。
「苦手」ではなく「そもそも無理」
そもそも「苦手」なのではなく、
「複数同時並行の作業ができない」
のだ。
健常者の皆さんは混乱しながらでもなんとか、なんとかやってのけているのではないかと思う。
しかし僕らは「まったく無理」なのだ。
すべて失敗する。
「急な予定変更」があると混乱する
「そんなん誰でも混乱するやろう」
こんな声が聞こえてきそうだ。
でもそれは違う。
これも混乱の程度が違うのだ。
たとえば、午前にお出かけの用事があったとする。
それが急きょ午後からのお出かけに変更になった。
これだけで混乱し、体調不良に陥るのだ。
単に「混乱」するのではなく、「体調不良に陥ることすらある」のだ。
とにかく、しんどさの「程度」が違う
まあ、こちらの話し方が悪いのかもしれないが、症状が発生するときにおける「しんどさ」の「程度」が普通の人よりも大きいのだ。
だから、発達障害の当事者から話を聞いたときは、
「複数同時並行がほんまにしんどいんやな」
「予定変更がたまらんくらいしんどいんやな」
と受け取ってほしい。
「誰でも同じ」と言わないで!
「そんなの誰でも同じだよ」と言われると、当事者は傷つくのだ。
障害であることをわかってほしいのに、「それは障害じゃないよ。あなたは障害者じゃない」と言われているようなものである。
一見励ましているように思われるかもしれないが、障害であることを認めてくれないのは、当事者にとってはショックなことなのだ。
健常者の方々にお願いしたい。
発達障害やその他の障害者から、「僕、障害者なんや」と言われたときは、「そうなんやね」と受け止めてほしい。
受け止めてくれるだけでいい。
特にアドバイスはいらない。
受け止めてくれるだけで、こちらの心はほっとする。
決して「みんな同じ」じゃない。
このことをみなさんに知ってほしいと、僕は思う。